バルザック「グランド・ブルテーシュ奇譚」

 今回はバルザックの短編集についての書評である。バルザックの翻訳は多数出版されている。その中で、岩波文庫の訳はかなり古いので、注意が必要である。旧字体でそのまま流通しているものもある。旧字体では、内容を理解する以前に、読み進める困難さが生じてくる。現在は光文社古典新訳文庫から読みやすい訳が出ている。

 表題作「グランド・ブルテーシュ奇譚」はパリの南西にあるヴァンドームという町を舞台にしている。町にある廃墟となった屋敷にまつわる物語である。物語は同時的にではなく、屋敷で働いていたことのある、宿屋の女将の口から過去のこととして語られる。

 バルザックの作品には、他の作品で登場した人物が再登場する。今回は、「ゴリオ爺さん」でラスティニヤックの友人の医師として登場した、ビアンションが仕事のためヴァンドームに滞在し、その時グランド・ブルテーシュ館の奇妙な物語に出会う。人物再登場の手法は、画期的である。これによって、読者は他のバルザックの作品にも興味を持つようになり、作品がより売れる。バルザックの創造した人物群が活躍する作品の総体を「人間喜劇(La Comédie humaine)」という。人間喜劇の中では、ある作品の主役が別の作品では脇役となり、その逆もある。

 「ことづて(le message)」は、死んだ男の代わりに、その男の恋人にメッセージを伝えるという筋書きである。仏文学では、たいていの恋人は人妻である。そして、恋人は美人で魅力的であり、その夫は愚鈍な人物として描かれる。若い男は、35から40歳くらいの女に魅かれるのだ、とバルザックは言う。

 「マダム・フィルミアーニ」では、様々なタイプの人々がそれぞれの見方でフィルミアーニ夫人を論評したあとで、夫人の恋、夫人のために財産を放棄し清貧に生きる青年オクターブの話が語られる。オクターブ青年はフィルミアー二夫人とグレトナ・グリーンで結婚したという。(グレトナ・グリーンとは、イングランドスコットランドの境にある町で、駆け落ち婚で有名である。)ハッピーエンドの物語である。

 5つの作品がある中で最も面白いと感じたのが、「ファチーノ・カーネ」である。盲人のクラリネット吹きであるカーネ爺さんから、パリの居酒屋で、爺さんの身の上話と、ヴェネチアの黄金についての話を聞く。この物語を書いた時、バルザックヴェネチアには行ったことがなく、作品発表の翌年、ヴェネチアに滞在することになる。カーネ爺さんは、元ヴェネチアの貴族で、実在の傭兵隊長であるファチーノ・カーネの子孫であると主張する。若きカーネは、恋人の亭主を殺し、ドゥカーレ宮殿の牢獄に繋がれる。カサノヴァが脱獄したことで知られる牢獄である。

 カーネは、母親が妊娠中、黄金への情熱に取り憑かれていたため、黄金の存在を嗅ぎつけることができる。同じような話は、ホフマンの短編にもある。ホフマンの方が時代的には、先であるが。牢獄から脱獄するため、穴を掘る作業をしているときに、宮殿内の黄金の存在に気付いたカーネは、脱獄に成功した時に、黄金を持って逃げた。後年、粉塵の中で穴を掘ったことが原因でカーネは失明する。話を聞いてくれた「わたし」に、カーネは一緒にヴェネチアへ行って黄金を探すように誘いをかけるのだが・・・。

 実際に行ってみるとわかるが、ヴェネチア総督の館(ドゥカーレ宮殿)と牢獄は同じ建物の中にある。だから囚人が穴を掘った先に黄金がある、ということもまんざら実際を離れた話ではない。ドゥカーレ宮殿に黄金を探しに行く前に、カーネ爺さんは死んでしまい、その後どうなったかは分からずに話が終わる。「わたし」も、狂人のたわごととして、そこまでカーネの話を信じて聞いていない。

 ヴェネチアというのは、様々な文学作品のテーマとなった土地である。そこに行ったことがあろうがなかろうが、詩的な関心を掻き立てる土地である。

 バルザックは小説だけでなく評論も書いた。小説家になる前は印刷業にも手を出していた彼の書籍業に関する評論は、現在に読んでもなるほどと思わされる。「書籍業の現状について」を読むと書籍業の歴史が分かる。元々は書籍の印刷から販売までを一つの業者が手掛けていたが、バルザックの時代になって、①印刷、製本する業者②書籍取次、卸業者③書店に分かれた。これは現行の書籍業にかなり近い。そもそも仕事というものは、草創期は全てを1人でやっていたものが、時とともに分業化していくものである。バルザックは、作者と読者をダイレクトに結ぶ、ブッククラブを構想していた。しかし、実現はしなかった。

 バルザックの人生には失敗も多い。劇作家や印刷業に失敗し、小説家として大成功した。大成功するには、大失敗が必要なのかもしれないと、バルザックの人生を見ると思ってしまう。