パリ再訪、クロズリー・デ・リラ

 バルセロナサグラダ・ファミリアを見に行ったついでに、パリを再訪しました。初めてパリに行ったのは、もう7年ほど前になります。その時は、パリに7泊ほどして、パリの名所を見て回りました。今回は、サン・ジェルマン・デ・プレ地区のホテルに泊まり、前回見ていなかったロダン美術館を見に行きました。オーギュスト・ロダンは19世紀から20世紀初めまで生きた彫刻家です。彼の代表作である「考える人」は誰でも知っていることと思います。東京の国立西洋美術館の入り口にも、「地獄の門」や「カレーの市民」など彼の彫像のいくつかがあります。

 ここには、ロダンの作品が集められているわけですが、ロダンの絵画も少しだけありました。自画像です。ロダンが彫刻だけでなく、絵画も描いていたということを、初めて知りました。また、同時代を生きたバルザックヴィクトル・ユーゴーをモデルとした彫刻も多いです。それ以外にもグスタフ・マーラーボードレールなどの彫像もありました。ひっそりと静かな環境で、それほど混雑もしていない美術館でした。中庭にも作品が展示されています。1時間ほどで見て回れました。ロダン美術館を出て、すぐ近くにある廃兵院のナポレオンの墓を見ました。前回パリに行った時にも見たのですが、ナポレオンの墓は見応えがあります。今度のパリ・オリンピックのマラソンのゴール地点にも選ばれています。パリには有名人の墓が沢山あります。中でも、このナポレオンの墓や、ペール・ラシェーズ墓地のショパンの墓などは見る価値のあるものです。

 前回パリに行った時に記憶に残っていた、トロカデロ広場に行きました。トロカデロは、エッフェル塔と一緒に写れる記念写真のスポットです。ここには人が沢山います。しばらく思い出に浸った後、コンコルド広場やノートルダム大聖堂に行きました。コンコルド広場は工事中、ノートルダム大聖堂も工事中でした。そこからカルチェラタンのサンミシェルの泉の彫刻も見に行きました。ヨーロッパでは、噴水に付属している彫刻が素晴らしいです。日本と違い、水は貴重なものですから、水を求めて噴水に集まった人々の目を楽しませたことでしょう。

 パリでの移動には、レンタサイクルのヴェリブを使いました。パリは、京都に似ています。自転車で移動するのが便利なのです。以前よりもヴェリブが使いやすくなっていました。スマホのアプリで各ステーションのヴェリブの台数が確認できるようになっていました。サンミシェル広場からサンミシェル通りを南へくだり、ヘミングウェイも通ったというカフェ、「クロズリー・デ・リラ」に行きました。昼の12時頃でしたが、それほど混んでいません。このカフェはヘミングウェイ以外にもボードレールサルトルヴェルレーヌ等、多くの文人が通った事で有名です。ヘミングウェイが若い頃にパリに滞在していた時のことを語る「移動祝祭日」にこのカフェの名前が出てきます。この本のなかで興味深く読めるのは同じ作家であるフィツジェラルドのエピソードです。フィツジェラルドは村上春樹翻訳の「グレート・ギャツビー」で有名なアメリカの作家です。私も村上氏の著書でフィツジェラルドの名前を初めて知りました。彼の私生活は波乱に満ちたものでした。フィツジェラルドとゼルダ夫妻の行動や、フィツジェラルドの創作についてこの本で知ることができます。

 クロズリー・デ・リラのメニューには、ギャツビーの名前を冠したカクテルがあり、それと、「ヘミングウェイ風ステーキ」を注文しました。この料理の値段はそれなりに高かったです。しかし、思い出にはしっかりと残りました。

カクテル”GATSBY


「移動祝祭日」には、お金がなく昼飯を抜くというヘミングウェイの日常も描かれていました。このカフェでヘミングウェイは、長編のデビュー作である「日はまた登る」を書いたと言われています。現在でも俳優のジョニー・デップが常連とのことです。パリの街中では、そんなジョニー・デップをフィーチャーしたDiorの香水“sauvage ”の広告を見かけました。クロズリー・デ・リラは観光地の近くにはなく、少しパリの中心地からも離れています。それでも立ち寄る価値のあるお店でした。この店で文章を書いたら、良いものが書けるかもしれない、そう思わせるところでした。