スタンダール 恋愛論

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カノーヴァ アモールの接吻で蘇るプシュケー@ルーブル


本書に恋愛のテクニックを求めるのは間違いである。なぜなら、そうしたことは何一つ書かれていないからである。恋愛の分類や、性質、ヨーロッパ、アラビア、アメリカにおける恋愛の描写があるのみである。著者スタンダールが恋愛に関して見聞きし、感じたことの集成である。そこに、日本的な恋愛で実用上得るべきものは、何もないのである。古今和歌集の恋歌の方がよほど日本人の心にしっくりとくるのではないか。

スタンダールによると、恋愛には4つの種類がある。

1つ目が、情熱恋愛。

2つ目が、趣味恋愛

3つ目が、肉体的恋愛

4つ目は、虚栄恋愛である。

一つ一つの恋愛について細かな定義はない。ただ、例をもって記述されていくのみである。

恋愛論は分厚い書物である。スタンダール恋愛論を自身の主要な作品であるとみなしていた。恋愛論には彼が最も大事にし、親しんできた考えや、幸福論、また、恋愛に関する秘密が書かれているからだ。

恋愛の分析、挿話、議論がごた混ぜになっている。順序もほとんどなく、後半に断章があるので、最初は断章から読んでもいいかもしれない。短い小説も含まれており、「エルネスティーヌ、または恋の誕生」は読むことをお勧めする。あまりにも有機的な構成がなされていないため、スタンダールと同時代の人々は困惑したようだ。スタンダールの友人達でさえ、恋愛論を読み解く鍵に気づけなかったため、恋愛論は全く売れなかったようである。恋愛論を読み解く鍵は、マチルデ・デンボウスキーという女性へのスタンダールの恋愛にある。マチルデへの執着、恋心がこの本の中心となっているからだ。マチルデはミラノ人である。スタンダールが初めてマチルデと出会った時、マチルデは28歳であった。マチルデは17歳でポーランドの将校と結婚して2人の子供がいたが、その将校とは離れて暮らしていた。

スタンダールがマチルデと出会った時、スタンダールは恋愛を知らないわけではなかった。マチルデは、スタンダールがそれまで関係があった女性とは、全く異なるタイプの女性だったようだ。

マチルデは謎めいた美しさを持っていた。スタンダールがマチルデに恋をしていると自覚した時、偉大な音楽の主題が始まったと直感した。

スタンダールの求愛に対し、マチルデは彼を理解も愛しもしなかったようだ。スタンダールが迫れば迫るほど、マチルデは冷静になり、彼を遠ざけていった。

スタンダールがマチルデと最後に会ったのは1821年の6月7日。スタンダールは6日後の13日にミラノを出発してパリへと向かった。マチルデは4年後の1825年に死んだ。その後もスタンダールはマチルデのことを想い続け、死ぬまでマチルデに関する記述を行なった。本の余白に記述を行う習性のあったスタンダールは、マチルデが死亡した時、恋愛論の余白にマチルデの死亡を書きつけた。

マチルデへの恋愛が契機となって恋愛論が生まれた。マチルデへの感情を説明するため、望みのない恋愛感情を振り払うために書かれたのである。

本書にある恋愛の「結晶作用」の概念は有名であり、重要である。結晶作用についての詳しい説明は「ザルツブルグの小枝」の章にある。ザルツブルグの小枝という章は2つあり、1つは前半、もう一つは下巻補遺にある。ザルツブルクの塩坑の奥深くに、木の枝を放り込んでおくと、2、3ヶ月後に枝はきらきらと輝く結晶で覆われているという。恋愛においても同様に、男性は女性に対して、ありのままの姿ではなく、そうあってほしい姿を見る。想像力によって、目の前の相手から、新たな美点を引き出すというのである。

結晶作用については日本の読者でも共感できる部分はあるのではないだろうか。恋愛だけではなく、賭け、憎しみについても結晶作用はあるとスタンダールは言う。

恋をして、苦しい経験をしている、相手が実際よりも美しく見えた経験のある、そういった人に本書を手にとってほしい。

今回読んだものは岩波文庫版「恋愛論」である。最近の訳であるため、読みやすくはある。上下巻に分かれている。下の表紙はルーブル美術館にある、カノーヴァの「アモルの接吻で蘇るプシュケー」である。この彫刻はパリのルーブル美術館にある。