海辺のカフカ

 私が高校生の頃、村上春樹の「海辺のカフカ」が発売され、学校のクラスの皆が読んでいた。私は、みんなが読んでいるものなぞ誰が読むか、といった気持ちで、読んでいなかった。その後、大学を卒業し、仕事をするようになってから、読んでみた。それなりに長い物語だが、ドストエフスキーの長編と同じで、導入の部分を通過すると、自然とストーリーに引き込まれて、一気に読むことができた。

 最初の方で、カフカ少年が長距離バスに乗って高松に行く場面がある。バスの中で、カフカは一人の女性から声をかけられる。著者の村上自身も、電車の中で見知らぬ女性に話しかけられたことがあるらしい。東京だとあまり電車内で見知らぬ人同士話す事はないが、関西だと、よくあるらしい。ただ、私は関西に5年ほど住んでいたが、そのような経験はない。

 中学生が学校を休んで、家出をする物語である。学校には、おそらく主人公の居場所はない。学校に行かず、別の世界で生きる事に関しては、面白そうだ。学校に行って、卒業して、会社に入り、何の疑問もなく、人生を送る人も多い。

 皆さんは、学校や会社に行かないと決めて、自分の本当にしたいことをしたことがあるだろうか。村上作品には、学校や、会社に行かないで、生活をしている人物がよく現れる。私も高校を卒業後浪人したため、学校に行かずに図書館で1日を過ごしたりするようになった。大学を卒業した後にも、会社には就職せず、ぶらぶらしていた。それでも生活できるのなら、それでいいのかも知れない。その後、しばらくしてから、きちんと就職はしたのだが。

 村上は、学校を出て、会社に勤める「普通」の人生とは違う価値観を提供している。村上自身も一度も会社に勤めた事はない。そういう生き方がかっこいい、と思う人もいるだろう。別に皆と同じ道を歩く必要はないのだ。私も、今は会社に勤めて、売上だの、年収だのを追い求める生活をしてはいる。だが、いつまでも、そういう生活を続けるとは思えないのだ。そういう生活は、私には合っていない。今の会社でのポジションも、いずれは他の誰かに譲る時が来るだろうと思う。

 村上の物語には、「癒し」がある。例えば、学校や、会社で嫌なことが続いていても、通勤の電車で「海辺のカフカ」を読んでいると、嫌なことも忘れられたりする。現実逃避かも知れないが、これも大事なことではないかと思う。少なくとも、現実しかないと思いながら生きるよりかはずっといい。会社なんていつ辞めてもいいものだ。学校も、辛ければ、一旦行くのをやめる選択肢もあるだろう。大事なのは、自分をコントロールすることだ。一旦学校に行かなくなってもいい。自分の意志で、また戻るということができればいい。本書の主人公のカフカ少年も、一度は高松に家出をしていたが、最後には学校に戻る決心をした。一度行かなくなったら、そのままドロップアウトするというのは良くない。それは逃げである。

 皆さんも会社や学校を1週間くらい休んで、高松に行ってみてはどうか。高松は面白いところである。うどんを食べるのも良い。村上はエッセイの中で、香川県に行ってうどんを食べた経験を記している。小豆島や、金刀比羅宮もおすすめである。もちろん、その時はカバンに「海辺のカフカ」を忍ばせて、道中読みながら行くことだ。

 村上春樹早稲田大学出身の小説家である。大学時代はジャズ喫茶でアルバイトをし、7年かけて卒業した。アルバイトで貯めた金で在学中からジャズ喫茶を始め、20代後半になってから小説を書き始める。最初の2作はジャズ喫茶を経営しながら執筆したが、それ以降は店を譲り、専業の作家となる。「海辺のカフカ」は五十歳の頃の作品。その後も作品を発表し続け、現在はノーベル文学賞に近い作家と言われる。

天橋立と与謝野晶子

 年明け早々、京都駅前でレンタカーを借りて、天橋立まで行ってきた。松島、宮島とともに日本三景の一つに数えられる天橋立だが、いってみると、昭和天皇や、与謝野鉄幹、晶子夫妻の歌碑があったりと、詩情に溢れるところであった。与謝野晶子と関連して今回は、「みだれ髪」について書くことにする。

 みだれ髪は晶子が二十三歳で発表した処女詩集である。詩の才能というのは、時とともに摩滅することもある。一番最初の作品が最高作である場合もある。ランボオのように、二十歳までに詩才を使い切ってしまう場合もある。晶子の場合、「みだれ髪」後も作品を発表し続けたが、処女作を超える作品を生み出すことはできなかった。詩にとって、若さのエネルギーは大事なものである。

 みだれ髪を読んでいると、ところどころ、意味のよくわからない歌が出てくる。そもそも発表当初から、歌の意味がわからない人が多かったようだ。雑誌「明星」内部の人にしかわからない閉鎖的言語の使い方、省略があったからである。だから、意味がよく分からなくてもどんどん読み進めていくのがよい。

 晶子は、子供の頃から平安朝女流文学に親しんできたため、京都の町の情趣に憧れを持っていた。清水や祇園賀茂川など、京都の情趣、風俗を歌に詠んだものも多い。そういった歌にも良い歌がある。

 晶子の歌で最も有名なのが、「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」であろう。この歌により、晶子は「やは肌の晶子」と呼ばれていた。この歌で「君」と呼ばれているのは、夫の鉄幹である。晶子以外には詠めそうにもない、情熱的な歌である。

 晶子は大阪府堺市の出身で、子供の頃から文学少女であった。夫の与謝野鉄幹京都市の出身である。天橋立の近くに与謝野町があるが、そのあたりにルーツがあるらしい。晶子が鉄幹と出会った頃は、鉄幹には妻がいたのだが、それでも、というか、障害があるがゆえに若さと愛情が迸り、良い歌が作れたのだろう。鉄幹と、晶子と、山川登美子との三角関係や鉄幹の離婚などがあった後で、ようやく正式に鉄幹と結婚する。「みだれ髪」以降、鉄幹の詩の売れ行きは振るわず、そのせいもあって、晶子は短歌以外にも評論や童話など、仕事の依頼があればなんでもこなしていった。鉄幹と共にパリに滞在して見聞を広め、パリの風俗を歌に詠んだりもした。晩年の自選歌集では、「みだれ髪」の歌は14首しかない。詩人にも思うところあってのことだろう。

 私は短歌を一日一首作っていた時期があった。それは京都に住んでいた時のことだ。東京に居ると、なかなか短歌を作ろうという気にならない。俳句の方が、東京には合っている。それだけ、詩というものは、地域に根ざした芸術なのかもしれない。酒も、作られた地域で飲むのが一番うまい、と村上春樹も言っている。京都から宮津まで行く途上、京丹波のサービスエリアで休憩をとった。そこで買った京丹波の地酒が美味しかった。長老酒造の純米吟醸酒である。詩人となることは無くとも、旅に出て見聞を広めることは大事である。みだれ髪を読みながら、天橋立を訪れてみてはどうだろうか。夏であれば海水浴もできるので、夏に行くのがお勧めである。

森鴎外 ウィタ・セクスアリス

 森鷗外のウィタ・セクスアリスについて。題名は、ラテン語でvita sexualisのこと、「性欲的生活」という意味である。哲学者の金井湛(かない・しずか)が自らの性生活について語るという体裁をとっているものの、実際には鷗外自身の性生活がモデルとなっている。最初の10ページくらい、どうして本書を書くに至ったかの経緯が記されている。同時代人である夏目漱石が小説を書き始めたことに触発されたり、自然主義小説が流行したり、ルソーやカサノヴァの告白記を読んだりした後で、息子に対する性教育を、自分の性生活の歴史を書くことで行えるか、ひとつ、書いてみようというところから始まる。

 本書は掲載雑誌「すばる」が発禁になったこともあり、読む前はとんでもない内容が書いてあるのか、と思って読んだが、意外にも生々しい描写も無いし、これで発禁か、と思うくらいの内容である。幼い頃の記憶から始まり、2度目の結婚をする前までの性生活についてが基本的な内容である。

 鷗外の学生時代には、男色というものがあったようである。男色とは、ホモセクシュアルのことだ。昔の学校は男女別学である。寮の中で鷗外はお尻の穴を狙われていたという。鷗外自身には男色の傾向は無かった。身を守るため、短刀を懐中に入れていたことも書かれている。女性に興味のあるのを軟派、男色を嗜むのを硬派と称するのには驚いた。現在とは言葉の使い方が違ったようだ。佐賀や熊本など九州出身の者は硬派であり、その他の地域の出身の者は軟派のため、硬派は少数派であったようだ。いま、国会では、LGBTの法案を成立させようとしているようだが、日本にも、今も昔も性的少数派がいたのであって、それが外国からの影響で禁止されたり、はたまた多様化を認められたりしているだけなのだ。そういう意味では少数派の性まで含めた、今も昔も変わらぬ人間の性を扱った内容である。

 学生時代の話が多い。7割くらいは大学を卒業するまでの話である。鷗外は、大学を卒業するまではセックスはしなかったと述べている。そして、そんな者は少なかったようだ。登場人物のほとんどに実際のモデルがあり、ある人は芸者に入れあげて学校を中途で退学したりしている。恋愛で身をもち崩す事はよくあることである。そのような人間の何人かを、その後の人生も含めてどうなってしまったかまで書いている。私は、恋愛、人生に関して、学生時代の後どうなったかまで見るのは重要であると思う。そうすることで、自分の参考にもなる。性的なこと以外に、学生時代の若い鷗外と友人たちの友情のエピソードも垣間見ることができる。

 人間というものは、大人になっても、10代の頃の性生活を繰り返すことが多いものだと思う。だから、二十歳くらいまでの性についておおよそ知ることができれば、十分ではないか。どのみち、30代を過ぎれば性欲は衰える。本書は20代前半くらいまでのエピソードで終わっている。それだけ知れば、、性に関しては十分である。冒頭で述べたように、息子に対する性教育のつもりで書き始めたものだが、書き終わったあとで、初めから終わりまで読み返してみて、やはり、息子にも読ませたくはない、と言う結論に至る。それで、書庫に本書を放り投げる場面で終わっている。まことに面白い終わり方である。ただ、息子に読ませて読ませられないものでもない、と言っているように、別段10代の青少年が読んでも害にはならない内容である。もちろん教育を行う大人が読むのも参考になる。性に興味のある、知的な人であれば、誰が読んでも益になると思う。そのような人々に、本書をお勧めしたい。

森鴎外 ウィタ・セクスアリス

 森鷗外のウィタ・セクスアリスについて。題名は、ラテン語でvita sexualisのこと、「性欲的生活」という意味である。哲学者の金井湛(かない・しずか)が自らの性生活について語るという体裁をとっているものの、実際には鷗外自身の性生活がモデルとなっている。最初の10ページくらい、どうして本書を書くに至ったかの経緯が記されている。同時代人である夏目漱石が小説を書き始めたことに触発されたり、自然主義小説が流行したり、ルソーやカサノヴァの告白記を読んだりした後で、息子に対する性教育を、自分の性生活の歴史を書くことで行えるか、ひとつ、書いてみようというところから始まる。

 本書は掲載雑誌「すばる」が発禁になったこともあり、読む前はとんでもない内容が書いてあるのか、と思って読んだが、意外にも生々しい描写も無いし、これで発禁か、と思うくらいの内容である。幼い頃の記憶から始まり、2度目の結婚をする前までの性生活についてが基本的な内容である。

 鷗外の学生時代には、男色というものがあったようである。男色とは、ホモセクシュアルのことだ。昔の学校は男女別学である。寮の中で鷗外はお尻の穴を狙われていたという。鷗外自身には男色の傾向は無かった。身を守るため、短刀を懐中に入れていたことも書かれている。女性に興味のあるのを軟派、男色を嗜むのを硬派と称するのには驚いた。現在とは言葉の使い方が違ったようだ。佐賀や熊本など九州出身の者は硬派であり、その他の地域の出身の者は軟派のため、硬派は少数派であったようだ。いま、国会では、LGBTの法案を成立させようとしているようだが、日本にも、今も昔も性的少数派がいたのであって、それが外国からの影響で禁止されたり、はたまた多様化を認められたりしているだけなのだ。そういう意味では少数派の性まで含めた、今も昔も変わらぬ人間の性を扱った内容である。

 学生時代の話が多い。7割くらいは大学を卒業するまでの話である。鷗外は、大学を卒業するまではセックスはしなかったと述べている。そして、そんな者は少なかったようだ。登場人物のほとんどに実際のモデルがあり、ある人は芸者に入れあげて学校を中途で退学したりしている。恋愛で身をもち崩す事はよくあることである。そのような人間の何人かを、その後の人生も含めてどうなってしまったかまで書いている。私は、恋愛、人生に関して、学生時代の後どうなったかまで見るのは重要であると思う。そうすることで、自分の参考にもなる。性的なこと以外に、学生時代の若い鷗外と友人たちの友情のエピソードも垣間見ることができる。

 人間というものは、大人になっても、10代の頃の性生活を繰り返すことが多いものだと思う。だから、二十歳くらいまでの性についておおよそ知ることができれば、十分ではないか。どのみち、30代を過ぎれば性欲は衰える。本書は20代前半くらいまでのエピソードで終わっている。それだけ知れば、、性に関しては十分である。冒頭で述べたように、息子に対する性教育のつもりで書き始めたものだが、書き終わったあとで、初めから終わりまで読み返してみて、やはり、息子にも読ませたくはない、と言う結論に至る。それで、書庫に本書を放り投げる場面で終わっている。まことに面白い終わり方である。ただ、息子に読ませて読ませられないものでもない、と言っているように、別段10代の青少年が読んでも害にはならない内容である。もちろん教育を行う大人が読むのも参考になる。性に興味のある、知的な人であれば、誰が読んでも益になると思う。そのような人々に、本書をお勧めしたい。

森鴎外 ウィタ・セクスアリス

 森鷗外のウィタ・セクスアリスについて。題名は、ラテン語でvita sexualisのこと、「性欲的生活」という意味である。哲学者の金井湛(かない・しずか)が自らの性生活について語るという体裁をとっているものの、実際には鷗外自身の性生活がモデルとなっている。最初の10ページくらい、どうして本書を書くに至ったかの経緯が記されている。同時代人である夏目漱石が小説を書き始めたことに触発されたり、自然主義小説が流行したり、ルソーやカサノヴァの告白記を読んだりした後で、息子に対する性教育を、自分の性生活の歴史を書くことで行えるか、ひとつ、書いてみようというところから始まる。

 本書は掲載雑誌「すばる」が発禁になったこともあり、読む前はとんでもない内容が書いてあるのか、と思って読んだが、意外にも生々しい描写も無いし、これで発禁か、と思うくらいの内容である。幼い頃の記憶から始まり、2度目の結婚をする前までの性生活についてが基本的な内容である。

 鷗外の学生時代には、男色というものがあったようである。男色とは、ホモセクシュアルのことだ。昔の学校は男女別学である。寮の中で鷗外はお尻の穴を狙われていたという。鷗外自身には男色の傾向は無かった。身を守るため、短刀を懐中に入れていたことも書かれている。女性に興味のあるのを軟派、男色を嗜むのを硬派と称するのには驚いた。現在とは言葉の使い方が違ったようだ。佐賀や熊本など九州出身の者は硬派であり、その他の地域の出身の者は軟派のため、硬派は少数派であったようだ。いま、国会では、LGBTの法案を成立させようとしているようだが、日本にも、今も昔も性的少数派がいたのであって、それが外国からの影響で禁止されたり、はたまた多様化を認められたりしているだけなのだ。そういう意味では少数派の性まで含めた、今も昔も変わらぬ人間の性を扱った内容である。

 学生時代の話が多い。7割くらいは大学を卒業するまでの話である。鷗外は、大学を卒業するまではセックスはしなかったと述べている。そして、そんな者は少なかったようだ。登場人物のほとんどに実際のモデルがあり、ある人は芸者に入れあげて学校を中途で退学したりしている。恋愛で身をもち崩す事はよくあることである。そのような人間の何人かを、その後の人生も含めてどうなってしまったかまで書いている。私は、恋愛、人生に関して、学生時代の後どうなったかまで見るのは重要であると思う。そうすることで、自分の参考にもなる。性的なこと以外に、学生時代の若い鷗外と友人たちの友情のエピソードも垣間見ることができる。

 人間というものは、大人になっても、10代の頃の性生活を繰り返すことが多いものだと思う。だから、二十歳くらいまでの性についておおよそ知ることができれば、十分ではないか。どのみち、30代を過ぎれば性欲は衰える。本書は20代前半くらいまでのエピソードで終わっている。それだけ知れば、、性に関しては十分である。冒頭で述べたように、息子に対する性教育のつもりで書き始めたものだが、書き終わったあとで、初めから終わりまで読み返してみて、やはり、息子にも読ませたくはない、と言う結論に至る。それで、書庫に本書を放り投げる場面で終わっている。まことに面白い終わり方である。ただ、息子に読ませて読ませられないものでもない、と言っているように、別段10代の青少年が読んでも害にはならない内容である。もちろん教育を行う大人が読むのも参考になる。性に興味のある、知的な人であれば、誰が読んでも益になると思う。そのような人々に、本書をお勧めしたい。

森鴎外 ウィタ・セクスアリス

 森鷗外のウィタ・セクスアリスについて。題名は、ラテン語でvita sexualisのこと、「性欲的生活」という意味である。哲学者の金井湛(かない・しずか)が自らの性生活について語るという体裁をとっているものの、実際には鷗外自身の性生活がモデルとなっている。最初の10ページくらい、どうして本書を書くに至ったかの経緯が記されている。同時代人である夏目漱石が小説を書き始めたことに触発されたり、自然主義小説が流行したり、ルソーやカサノヴァの告白記を読んだりした後で、息子に対する性教育を、自分の性生活の歴史を書くことで行えるか、ひとつ、書いてみようというところから始まる。

 本書は掲載雑誌「すばる」が発禁になったこともあり、読む前はとんでもない内容が書いてあるのか、と思って読んだが、意外にも生々しい描写も無いし、これで発禁か、と思うくらいの内容である。幼い頃の記憶から始まり、2度目の結婚をする前までの性生活についてが基本的な内容である。

 鷗外の学生時代には、男色というものがあったようである。男色とは、ホモセクシュアルのことだ。昔の学校は男女別学である。寮の中で鷗外はお尻の穴を狙われていたという。鷗外自身には男色の傾向は無かった。身を守るため、短刀を懐中に入れていたことも書かれている。女性に興味のあるのを軟派、男色を嗜むのを硬派と称するのには驚いた。現在とは言葉の使い方が違ったようだ。佐賀や熊本など九州出身の者は硬派であり、その他の地域の出身の者は軟派のため、硬派は少数派であったようだ。いま、国会では、LGBTの法案を成立させようとしているようだが、日本にも、今も昔も性的少数派がいたのであって、それが外国からの影響で禁止されたり、はたまた多様化を認められたりしているだけなのだ。そういう意味では少数派の性まで含めた、今も昔も変わらぬ人間の性を扱った内容である。

 学生時代の話が多い。7割くらいは大学を卒業するまでの話である。鷗外は、大学を卒業するまではセックスはしなかったと述べている。そして、そんな者は少なかったようだ。登場人物のほとんどに実際のモデルがあり、ある人は芸者に入れあげて学校を中途で退学したりしている。恋愛で身をもち崩す事はよくあることである。そのような人間の何人かを、その後の人生も含めてどうなってしまったかまで書いている。私は、恋愛、人生に関して、学生時代の後どうなったかまで見るのは重要であると思う。そうすることで、自分の参考にもなる。性的なこと以外に、学生時代の若い鷗外と友人たちの友情のエピソードも垣間見ることができる。

 人間というものは、大人になっても、10代の頃の性生活を繰り返すことが多いものだと思う。だから、二十歳くらいまでの性についておおよそ知ることができれば、十分ではないか。どのみち、30代を過ぎれば性欲は衰える。本書は20代前半くらいまでのエピソードで終わっている。それだけ知れば、、性に関しては十分である。冒頭で述べたように、息子に対する性教育のつもりで書き始めたものだが、書き終わったあとで、初めから終わりまで読み返してみて、やはり、息子にも読ませたくはない、と言う結論に至る。それで、書庫に本書を放り投げる場面で終わっている。まことに面白い終わり方である。ただ、息子に読ませて読ませられないものでもない、と言っているように、別段10代の青少年が読んでも害にはならない内容である。もちろん教育を行う大人が読むのも参考になる。性に興味のある、知的な人であれば、誰が読んでも益になると思う。そのような人々に、本書をお勧めしたい。

守銭奴

 池袋の東京芸術劇場モリエールの「守銭奴」の舞台をやっていたので、行ってきた。アルパゴン役を演じるのは佐々木蔵之介。舞台はパリ、時代も違うので、実際に演じられたら、どうなるのかな、と思って見たが、意外にも面白く見る事ができた。ほぼ原作通りに進行した。最終日の日曜日で、お客さんも満員とはいかないが、2/3くらいは席が埋まっていたかと思う。たまに演劇で食えない役者さんの話を聞く事があるが、演劇で食っていくのは大変そうである。食えない役者の方が多いのだろう。ゲーテは「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」の中で演劇に生きる主人公を描いた。やってみると、演じるということはとても楽しいものなのかもしれない。

 守銭奴原作の書評に移る。とてつもないケチのアルパゴンには年頃の子供が二人いて、それぞれに結婚しようと思っている恋人がいる。だが、結婚しようにも、アルパゴンは金を全く出してくれない。おまけに、アルパゴンは子供二人の結婚相手を無理に決めようとする。さらに、アルパゴンは息子クレアントの恋人マリアーヌと結婚しようとする。この劇は、人物相関図を描いた方がわかりやすいかもしれない。アルパゴンの娘エリーズは、執事のヴァレールと恋仲だが、アルパゴンはエリーズとナポリの貴族アンセルム(=ドン・トーマ・ダルブルチ)を結婚させようとする。さらに、そのアンセルムはヴァレールとマリアーヌの父親であることがのちに分かる。最初に原作を読んだ時にはこの関係がごちゃごちゃしていて分からなかったが、実際に劇場で3次元的に見るとよく理解できた。

 守銭奴でお金を貯め込んでいるけちな男というのは今も昔も、どこにでもいるだろう。そういった守銭奴の万古不易な性格をとてもよく表しているのが、この作品である。普通は、お金を貯めるというのは何かに使うためなのだが、こういう男は貯めることが目的となってしまっている。手段が目的となってしまっているのだ。劇の中盤で、執事のヴァレールが放つ「人は食べんがために生きるものにあらず。生きんがために食べるものなり。」という言葉は名言である。その後のセリフで、生きることと食べることが逆転して、笑いを誘うのだが、劇で見るとどっちがどっちだか、気をつけないと分からなかった。本当に気をつけて生きていないと、時として本来の目的を見失うことはよくあることだ。忙しくても少し立ち止まって、何のために働いているのか、何のためにお金を貯めているのか、よく考える機会を持つべきである。

 作者のモリエールはフランスの劇作家であり、役者でもある。守銭奴が初演された時には、アルパゴン役を自ら演じた。フランスのシェイクスピアと言ってもいいだろう。モリエールは私のお気に入りの作者の一人であり、「人間嫌い」の書評の際にもモリエールの評伝を書いたから今回はそちらは省略する。ゲーテは、毎年1度モリエールを再読すると言っている。それくらい重要で学ぶことの多い作家である。冒頭で、演劇で食べていくことは難しいことを書いたが、モリエールの時代も芝居の興行成績を気にしながら出来るだけ客に受ける作品を書いたことだろう。「守銭奴」は初演の際には評判が良くなく、客も不入りだったようだ。作者の理想と、現実の観客との間にはギャップがあった。後世までも残る作品が書きたいとモリエールは思って書いたかもしれない。しかし、作品はモリエールが生きているうちには評価されることはなかったのである。時代を超え、国境を越えるとは、どういうことかを、感じてみるいい機会となる作品である。