村上春樹・ノルウェイの森

 大学生の時、友人と話していたら、村上春樹の話になり、彼の作品は高校時代に全部読んだぜ、なんて言っている男がいた。私は、村上作品は小説だけでなくエッセイもかなり好きで、「村上朝日堂」や「村上ラジオ」などかなり楽しく読んできたし、何度も読み返してきた。これだけ世界中でも売れている作家だから、ファンも多いし、私の通っていた京都大学でも、村上が好きな人はけっこういた。それも、文系学部ではなく、理系学部の中でもファンは多かった。「村上さんのところ」という、ファンとの交流から生まれた作品の中でも、理系研究者にも村上ファンが多いということが語られている。いたるところにファンがいるのだ。

 本作は、三十七歳の「僕」がドイツのハンブルク空港に到着するボーイング機中でビートルズの「ノルウェイの森」のメロディを聞いて具合が悪くなる場面から始まる。具合が悪くなってうずくまりながら、「僕」は約20年前の大学生だった頃の体験を思い出している。ずいぶん感傷的な文章だ。もちろん、「ノルウェイの森」というタイトルはビートルズの曲名に由来している。ビートルズはデビュー前の下積み時代にハンブルクのライブハウスで演奏していた。要するにハンブルクビートルズゆかりの地なのである。高田馬場駅鉄腕アトムのメロディが流れるのと同じである。村上春樹早稲田大学に在籍していた1970年頃は、ビートルズが流行しており、至る所でビートルズの曲が流れていた。また、大学では大学紛争をやっており、東大入試は中止になり、講義はほとんどなかった。既存の権力をぶち壊す、カウンターカルチャーの時代である。

 偶然だが、私も、現在は三十七歳である。偶然の一致である。今、これを書いている喫茶店でも、ビートルズの曲が流れている。意味のある偶然の一致を、シンクロニシティという。

 本作には、性的な表現が多い。主人公が何人もの女性とセックスする場面が出てくる。最後には、四十歳くらいの中年の女性とまでセックスをしている。主人公は、それほどに顔は良くないようだがモテモテで、女性とやりまくりである。こういう大学生活を送りたいと、思わなくもない。

 村上春樹早稲田大学文学部演劇科卒の作家である。本書の主人公も、大学で演劇を専攻し、大学時代の村上と同様にレコード屋でアルバイトをしている。そういう意味では、著者の分身とも言える。また、本書の登場人物である「ミドリ」は、村上春樹の妻である、村上陽子をモデルとしているとする説もあるが、著者はそれを否定している。ミドリと主人公との会話は、見ていると、かなり面白い。特に、ミドリのセリフは面白い。ドストエフスキーの小説における長広舌のようである。私は、ミドリというキャラクターは、村上春樹の創造したキャラクターのうちでも最高傑作だと思う。ミドリは、男性からすると一緒にいて楽しく、物分かりの良い女の子である。それなりにルックスもよく、下ネタで男と盛り上がっている場面もある。ミドリと主人公との関係は、恋人ではなく、4角関係のようなものだ。お互いに、恋人がいる。その中で、二人だけで会ったりして、だんだんと恋人のようになっていく。

 本作のテーマは大学生活、恋愛、人の死である。親友や、恋人が次々と自殺していくが、主人公は深く考えないようにして、やり過ごそうとする。バラバラになりそうな心を癒すために、主人公は、恋人へと手紙を書き続ける。文章を書くという行為が、一つの癒しとなっているように思える。また、そのような物語を読むことで、読者の孤独な魂も癒しを感じられるようになっている。

 上巻、下巻と二つに分かれていて、長編ではあるが、それほど苦労なく読めると思う。これは、中学生から大学生までの学生にお勧めする。大学の講義に出席したり、恋人関係や友人関係、お酒を飲んだり、アルバイトをしたり、セックスをしたり、これはどの時代にもある事だから、読めば共感できる部分はあるはずだ。優れた小説は時代を超え、国境を越える。きっと、あなたの気に入るはずである。

夏目漱石 こころ

 高校3年生の時、現代文の教科書に夏目漱石の「こころ」が載っていた。「先生」の手紙の中の一部であったように思う。「こころ」はそれなりに長い小説だから、その時にはその部分だけを読んで、全体は敬遠して読まなかった。大学入試の勉強もあったから、もっと大人になって読みたいような気がしていた。私の高校時代の現代文の先生は、夏目漱石芥川龍之介森鴎外の3人を最高の小説家と評していた。それ以来、漱石の作品は「坊ちゃん」「三四郎」「それから」などを高校時代に読み、影響も受けた。

 就職してから、通勤電車に乗っている時間が長くなったので、電車の中で「こころ」を読む機会があった。物語の終わり方が、何とも突然であると感じた。また、親友が自殺するという筋は、村上春樹の「ノルウェイの森」に似ているとも感じた。現代文の先生は、先に挙げた3人以外に村上春樹も良い、と言っていた。その頃は、まだ村上春樹も数ある現代作家のうちの一人に過ぎなかったが、現在では、ノーベル文学賞の候補ともなるくらい、大成している。村上春樹の作品も好きになり、ほとんどのものを読んだ。

 「こころ」の語り手である「私」は、大学生である。物語の後半は、もう一人の登場人物である「先生」の大学生の頃の回想である。だから、当世流に言うと、学園モノと言うことになるのかもしれない。だから高校の教科書に載っていたのだろう。扱っているテーマをざっくりと言うと、「友情」「学業」「家族」「就職」、そして、「恋愛(三角関係)」、「結婚」である。

 当時の大学といえば、東大くらいしかなかったから、よく読むとエリートの話である。大学には、お金持ちしか通えなかった。だから、東大を出ている「先生」も「私」も、実家が相当に裕福な家庭のため、大学を出ても就職をしないでいる。いわば、高等遊民である。

 かくいう私も大学を卒業した頃には、何もせずにぶらぶらしていた。実家は裕福ではなかったけれど、仕事をしたくなかったのである。本を読みたいと思っていたので、朝から晩まで忙しく働く仕事では、読書をする時間がないと思ったし、普通の会社員になっても長続きしないだろうな、と思って、履歴書も送らずにいた。毎日、実家で本を読み、夜になったら、塾のアルバイトで受験の勉強を教えていた。教えて得た金で、本を買っていた。何年か経って、30歳くらいになった時、このままではいけないと思って、そのまま塾に正社員として(アルバイトで教えていたのとは別の塾に)就職した。塾での仕事は、自分には合っていたようだ。本で読んだ知識を仕事にも活かせるからだ。塾で教えながら、こういった文章をコツコツと書いている。漱石のように、いつしか文章で身を立てることができたら、と思いながら。

  夏目漱石は、波乱万丈の人生を送ったと見える。明治維新の前年に生まれ、実家を出て二回養子に出され、小学校や中学校も中退、転校を繰り返した。英語だけでなく、漢籍や俳句もよくした。帝国大学(東大)を卒業後、高等師範学校(現在の筑波大学)や松山中学、熊本の第五高等学校など(昔の高等学校は、現在でいう大学である)で英語を教えた後、文部省の命令でロンドンに留学。初めはケンブリッジに行ったが、学費が高いので、ロンドンに転じ、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの講義を聞く。しばらくして講義は聞くのをやめ、英語の個人教授を受けながら、下宿に引きこもって、名前は知っているけれども、読んだことのない英文学の本を読むこと二年余り。この頃から漱石は神経衰弱と言われるようになった。ロンドンから帰国後、東京大学で教鞭を執る。神経衰弱の治療のため、創作を勧められ、できた処女作が「吾輩は猫である」となった。その後、東大を辞職して朝日新聞社に入社。専業作家になる。漱石が創作をしていたのは三七歳から五十歳までのおよそ一三年間のみである。その間に膨大な量の著述をした。現在は、「こころ」の中でKの墓があるのと同じ、雑司が谷霊園に眠っている。

 「こころ」は日本で一番売れた作品である。学生が読んでも得るものがある。だが、大人になってから読んでも、もっと得るものがあるように思う。あなたも通勤電車の中で、読んでみてはどうか。

 

雑司ヶ谷霊園夏目漱石の墓

 

オイディプス王

 今回は、ギリシャ悲劇の古典として有名な、ソフォクレスオイディプス王である。

 ギリシャのテーバイで王の息子として生まれたオイディプス。しかし、息子はやがて王を殺すという不吉な神託が降り、王は息子の両足に留め金を刺して羊飼いに山中に捨てるように命じる。捨てるのが忍びなかった羊飼いは、他国の羊飼いに子どもを預け、それが子供のなかったコリントスの王に渡り、そこでオイディプスは王子として育てられた。ここでも、オイディプスには、自らの父を殺し自分を産んだ母と交わるという神託があったため、オイディプスコリントスを出て、放浪の旅に出る。この放浪の旅の途上で、偶然から、オイディプスは実の父であるテーバイの王を殺してしまう。

 王が殺されたテーバイでは、スフィンクスが謎をうたい、答えられない人々の命を奪っていた。そこへ、放浪中のオイディプスがやってきて、謎を解き、人々を救う。そこで、人々に推されて王位につき、先王の妃であり、自らの母である、イオカステを妻にし、4人の子どもをもうける。しかし、その後、テーバイにさらなる危難が降りかかる。オイディプスは国を救うため、再び神託を乞うと、先王ライオスを殺した犯人を国から追放することで解決できると神託があり、オイディプスはライオス殺しの犯人探しをすることになる・・。

 オイディプスは、決して、悪人ではない。彼に最悪の悲劇が起こったのも、彼自身が意図してのことではない。アリストテレスによると、悪人でも、善人でもなく、しかも大きな名声と幸福を享受している人が、何らかの過ちによって、幸福から不幸に転じるのが、悲劇の優れた筋である。ギリシャの原始の世界にあって、様々な悲劇作品が作られたが、その中でも、善人が幸福から不幸に転じたり、悪人が幸福から不幸に転じるものも、あったようだが、結果として、「オイディプス王」の筋のようなものが最上であるとアリストテレスは「詩学」の中で結論づけている。

 この物語は、小説ではなく、演劇である。登場人物のせりふと、ところどころに挿入される旋舞歌よりなる。西洋の演劇はアテネ発祥であり、アリストパネスソフォクレスアイスキュロスなどの劇作家はアテネアクロポリスの丘にあるディオニュソス劇場で作品を上演し競い合った。「オイディプス王」はソフォクレスの作品の最高傑作であるが、伝承によると、大ディオニュシア祭における悲劇競演では、ピロクレスに敗れて第2等だったと言われている。そのピロクレスの作品は現存していない。

 作者のソフォクレスは紀元前5世紀頃の人でアイスキュロスエウリピデスと並び称される三大悲劇作者の一人。最初は役者を志したが、のちに劇作家に転じ、二十七歳の時に大ディオニュシア祭に初参加し、アイスキュロスを破って優勝。90歳になるまで作品を執筆し続けた。「オイディプス王」は、好評だったためか、続編があり、続編ではオイディプスの子ども達が主役となる。 

 心理学上の言葉であるエディプス(オイディプス)・コンプレックスは、フロイトによって、このオイディプスの物語から名付けられた。

 現在、最も手に入りやすいものは岩波文庫版である。私もそれを参照した。次が光文社古典新訳文庫のものである。より現代語に近く読みやすいものは古典新訳文庫の方だろう。他にも新潮文庫版もあるが、英訳からの重訳なので、マイナーな存在である。どの訳で読むにせよ、筋が単純でわかりやすく、人間の運命というものについて深く考えさせられる作品である。

エピダウロスの古代劇場



芥川龍之介 河童 或る阿呆の一生

 前々回のモーパッサンで、芥川のことを書いたので、今回は芥川の作品について取り上げる。新潮文庫の「河童・或阿呆の一生」である。

 本作には芥川の晩年に書いた6つの短編が収められている。芥川の死因は自殺である。三十五歳という若さであった。

 「大導寺信輔の半生」は自伝的な要素の強い作品。主に幼少期~学生時代のことについて書いてある。未完に終わっているが、芥川はこの後も続けて書くつもりだったらしい。芥川の読書体験は小学校時代に「水滸伝」を読んだことから始まる。その後、高等学校までにドストエフスキーシェイクスピアゲーテモリエールスタンダールなどに熱中した。彼は人生を知るために、実際の経験ではなく、本を通して学んだ。本が好きだった芥川は、貧しかったため、自由に本を買うことができなかった。本を古本屋で売ることもあったが、ニーチェの「ツァラトゥストラ」を神保町の古本屋で売った後、売値の2倍で買い戻した話には笑ってしまった。

 「玄鶴山房」はある家族の物語である。肺結核に侵された老人、玄鶴は死期が近い。看病をするため、家族のもとに玄鶴の妾である、お芳が来る。

お芳が来たことで、家族の雰囲気は乱される。その後、玄鶴の死と、死後の残された家族について描かれている。同じく死の近かった芥川は自分の死後、残された家族について考えていただろう。全体的に家族の暗い側面が強調されている。

 「蜃気楼」は10ページ足らずの短編。主人公は友人と一緒に蜃気楼を見るために鵠沼の海岸に行く。海岸では蜃気楼はうまく見えなかったが、珍しい漂着物を拾う。海岸への行き帰りで、新時代の服装をした男女や、拾った物、昨晩見た夢のことについてなどの会話をする。これといった筋もなく、劇的な場面もない。面白さはないが、芸術的な美しさを感じる作品である。

 表題作の「河童」が収載作品中最も長い作となっている。ある精神病患者が河童の国に行った時の話を、作者が聞き取って書いたことになっている。河童の国などというものはあるはずがないのだから、河童の国に行ったと称する者は狂人ということになる。

 河童の国の事情は、あらゆる点で、日本とは違う。恋愛や、出産、死刑に至るまで、河童の世界は、現実の裏返しとなっていて、それが日本の世相に対する風刺となっている。筋がうまいし、皮肉あり、面白さもある作品である。本書のカバーの芥川の写真も、どことなく河童に似ている。

或る阿呆の一生」は芥川の自叙伝的な作品。死後の発表となった。

 この作品でもモーパッサンドストエフスキーボードレール等の名前が出てくる。19世紀の偉大な作品に親しんだ芥川の学生時代の読書の様子が窺える。読書体験以外にも、ゴッホの画集を見た経験も語られている。芥川が名前を挙げている作者のうちで、現在では忘れ去られた作者は稀である。そういうところが芥川の凄味であると感じる。51の短章に芥川の短い生涯がまとまっている。

 「歯車」は芥川が自殺する前の生活がどのようなものだったかわかる作品である。主人公の「僕」は睡眠薬の助けを借りないと眠れない。ホテルの部屋で原稿を書いたり、歯車の幻覚を見たりしている。「歯車」を執筆中には自分が死に近いという事を予感していたものだろうか、見たら死ぬと言われているドッペルゲンガーが出てくる。この短編にも特に筋はなく全体的に暗い雰囲気で、主人公の視点からは明るい展望は見出せない。この後に待っているのは暗い未来だけである事を感じさせる。一般的に、芸術家は不幸であると言われている。芥川も、自分の生み出した作品がもたらす幸福がなければ、生を続けていくことは不可能であっただろう。

 短編の名手といえばモーパッサンであるが、モーパッサンは非常に絵画的な、北仏の風景をそのまま文章に写し取ったような文章を書く。芥川の文章は、どちらかというと音楽に近い。夏目漱石はというと、絵画的である。村上春樹は作家の文章について、絵画的か、音楽的かに分かれると言っている。

  特に筋書きのない短編を芥川は好んだようだ。最近の作者でいうとレイモンド・カーヴァーも特に筋がなく芥川に雰囲気の似ている作品がある。

 芥川は非常にシニカルに物事を見る人だった。それは生きづらさに通ずると思う。そのシニカルさは、他人の目を執拗に気にするところから来ていると思う。そこが、彼が自殺することにつながったのではないかと、僕は思う。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら

 私をウィスキーの世界に導いてくれた本である。この本を読んで、ボウモアを買って飲んでみたのだが、最初は全然美味しく感じなかった。独特の匂いも好きになれなかった。慣れてくると、味も匂いも気にならなくなった。著者もおすすめしているように、半分をストレートで飲み、もう半分を炭酸などで割って飲んでいる。居酒屋に行った時もウィスキーやハイボールをよく頼むようになった。間違いなく読めば世界が広がる一冊である。

 私はこの本を読むまでウィスキーを飲んだことがなかった。20代後半だった。最初は普通のコップで飲んでいたのだが、徐々にウィスキーグラスで飲むようになった。器や、雰囲気が意外に大事であると気づいたのだ。どんな器で飲んだって、どこで飲んだって、中身は変わらないじゃないか、ではないのである。著者はこういっている。「酒というのは、それがどんな酒であっても、その産地で飲むのが一番うまいような気がする」と。だからスコッチ・ウィスキーはスコットランドで飲むのが一番うまいし、新潟の酒は新潟で飲むのが良い。キャンティ・クラシコトスカーナで飲むのが良い、ということになる。フィレンツェで飲んだキャンティ・クラシコは、確かに美味しかった。日本に帰国してから飲むより、値段も安いし、フィレンツェの雰囲気によく合っていた。本書でも、ウィスキーがいかにその地域の生活に根ざしているかが語られている。

 本作では著者はウィスキーの本場である、スコットランドアイラ島と、アイルランドを旅して周り、ウィスキーの工場見学をしたり、パブでスタウト(黒ビール)を飲んだりしている。写真も多数載っているので、文章入りの風景写真集としても楽しく読める。著者は工場見学が好きだそうで、過去にはコム・デ・ギャルソンや人体標本の工場を見学している。小学生や中学生くらいで工場見学をされた方は多いかと思うが、大人の工場見学もおすすめである。私は、ベルギーのブルージュでビール工場を見学した。説明は全て英語で、私の他に参加している日本人はいなかった。見学が終わった後、ビールも飲める。かなり面白かった。

 ウィスキーを飲むシチュエーションであるが、「SUITS」というアメリカのドラマで、主人公のハーヴィーが夜にオフィスでスコッチを飲んでいる場面がある。それがかっこいいので、私も、以前は職場にスコッチを置いていて、仕事終わりに一人でちびちびと飲んでいた。その後、職場が変わったので出来なくなってしまったのが残念である。またそのうちにできるようになればと思っている。 

 「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という題名は、素晴らしい題名である。ウィスキーを出されただけで、言葉にしなくても通じる瞬間のことのようである。実際にウィスキーを飲みながらパラパラとページを繰ってみてほしい。

 村上春樹は日本の作家。早稲田大学文学部演劇科卒業。大学時代には学生結婚をし、働きながら大学に通った。大学は卒業するのに7年かかった。特に大学時代は、学生紛争の時代で、講義が行われていなかった時期もあったという。大学時代からジャズバーを経営し、最初の小説「風の歌を聴け」はジャズバーが終わった後、毎晩キッチンテーブルで書いたそうだ。その後お店は譲り、専業作家となって世界各地を転々としながら小説、エッセイ、紀行文や対談などを発表している。代表作は「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」など。

 アイルランドの朝食は美味しい、と書かれている。いつか機会があったら本書を片手に旅をしてみたい。

脂肪のかたまり

「モオパスサンは氷に似ている。もっとも時には氷砂糖にも似ている」芥川龍之介侏儒の言葉

 

 脂肪のかたまりとは、小柄で肥満して丸々と太った娼婦のあだ名である。フランス語で、ブール・ド・スュイフという。作品中は本名のエリザベート・ルーセではなく、ブール・ド・スュイフと呼ばれる。ブール・ド・スュイフを中心に、ルーアンの街を脱出し、乗合馬車でディエップまで向かう身分も様々な10人の道中と人間模様が描かれる。普仏戦争の時代、ルーアンの街を敗れたフランス兵たちが通り過ぎた後、戦勝者のドイツ兵たちがやってくるところから物語が始まる。

 愛国者であるブール・ド・スュイフは占領者のドイツ兵に飛びかかってしまい、ルーアンに居られなくなる。同じようにドイツ兵から逃れるため県会議員のカレ=ラマドン氏夫妻、ユベール伯爵夫妻、ワイン商のロワゾー夫妻(ここまでが上流階級で保守派である)、共和主義者のコルニュデ、天然痘にかかった兵士の看護をするためにル・アーブルに向かっている二人の修道女が朝早くに乗合馬車ルーアンを出発する。雪道のため、馬車は予定より大幅に遅れ、昼に着くはずだったトートにも到着できない。街道沿いの店は戦争のため、すべて閉まっている。食料を持って出発していなかった人たちは、激しい空腹に襲われる。一行の中で、食物を持ってきていたのはブール・ド・スュイフだけである。ブール・ド・スュイフは持っていた食べ物を気前よく他の人たちに分け与える。ブール・ド・スュイフのおかげで空腹を満たすことができ、難を逃れた一行は、暗くなってからトートの町に到着する。そこにはドイツ人将校がおり、一人一人の身分をチェックする。宿に泊まり、翌朝、出発しようとするが、ドイツ人将校が出発を許可してくれないため、足止めになってしまう。それは、前日の夜にブール・ド・スュイフがドイツ人将校と寝ることを拒んだためである。理由を知って、ドイツ人将校に対して憤激する一行だったが、しばらく足止めをされているうちに、ブール・ド・スュイフへの怒りが芽生えてくる。いつもは人を選ばず寝ているのに、なぜ今回はそうしないのか?ブール・ド・スュイフを説得し、まんまとトートを出発することに成功した一行。しかし、その馬車の中で、今度はブール・ド・スュイフだけが昼食を持ってきていない。ドイツ人将校と寝ていたため、朝が遅くなってしまったのだ。ブール・ド・スュイフが泣き出しても、誰も昼食を分けてあげようとしない。そんな時、「ラ・マルセイエーズ」を口笛で吹き出すコルニュデ。「ラ・マルセイエーズ」は現在フランスの国歌だが、「脂肪のかたまり」の時代(1870年頃)には、革命のイメージが強すぎたことから、保守派からは嫌われていた。ちなみに、ビートルズの「All You Nead is Love」の出だしが「ラ・マルセイエーズ」である。トートまでの馬車の中ではブール・ド・スュイフに昼食をもらったのに、今度はブール・ド・スュイフに食事を分けてあげない保守派の面々に対する復讐の意味だろう。あからさまに嫌な顔をされても構わず、ディエップまでの道のりの間じゅうずっと「ラ・マルセイエーズ」を吹き続けるところで、この物語は終わる。

 ギ・ド・モーパッサンはフランスの小説家で短編の名手。同じく短編の名手である芥川龍之介モーパッサンを嫌っていたようだ。本作は短編というには少し長く、中編程度である。モーパッサンの数ある作品の中でももっともよくできた作品である。新潮文庫岩波文庫光文社古典新訳文庫などで読める。その中でも、岩波文庫のものが挿絵が入っていて、解説も充実しているため、おすすめである。

モン・サン・ミシェル

 

モリエール 人間嫌い

 十七世紀フランスの劇作家・モリエールの喜劇である。当時の社交界の悪風習への批判、諷刺の込められた作品。

 主人公・アルセストはセリメーヌという女性に熱を上げている。しかしセリメーヌに言い寄っている男性は他にも何人かおり、実はセリメーヌは言い寄ってくる男性全員に気のあるそぶりをしている。最後はそれが露見し、男たちはセリメースから離れてゆく。また、アルセストはその歯に衣着せぬ言動が災いし、あちこちでトラブルを起こす。世の中に絶望したアルセストは、人里離れたところに引っ込んで生活しようとするのだが・・・

 アルセストと親友フィラントの会話でこの劇は始まる。率直一点張りのアルセストは、フィラントが社交界で心にもないお追従を言っているのを非難する。例えば、宮廷人に詩の感想を聞かれて、フィラントはその詩を褒めそやすが、アルセストは、この程度の物なら、詩を書こうという気など全然起こさない方が良い、と正直に言う。まだ経験が浅く、世間を知らない青年によくありがちな、理想主義で極端な意見を持っており、厭世的なところがある。対してフィラントは世間慣れしており、その意見はアルセストの対極にあり現実的である。人間が悪事を働き、自分の利益に汲々とするのでさえ、それは、飢えた熊鷹や怒り狂った狼を見るのと同じで、人間の本性である、と考えている。アルセストが、世相を嘆き、社会から離れて暮らす、と言ったときにも、人間に欠点があればこそ、哲学を練る道があり、もし、何事も正直ずくめであれば、美徳というものも、大部分無用となってしまう。こちらが正しい場合、他人の不正を気持ちよく耐え忍ぶのが美徳である、と真っ当な意見を言う。

 またアルセストは訴訟事件を抱えており、法廷で弁論しなければならないが、そこでも裁判官に働きかけて有利に裁判を進めようとしない。法廷での弁論のみで勝訴を勝ち取ろうという気でいる。現実では、まさかそれが原因で敗訴になることはないとは思うが、劇中では、アルセストは裁判で負けてしまう。

 アルセストの青さ、正しいことを主張しさえすれば良いのだ、と言う純朴さは、多くの若者が持っている。率直さも真面目さも一つの美徳ではあるが、それが極端になってしまうとマイナスとなる。そこが笑いにつながるのである。

 セリメーヌの性格は女性によくある類型を表していると言える。一般的にセリメーヌのような女性はコケットと呼ばれる。周囲の誰にでもいい顔をしようとする女性を、日本では八方美人というが、これとよく似たタイプである。セリメーヌはまだ若く、男性が引きも切らずに寄ってくるのだが、歳をとるとそうもいかないだろう。本作にはアルシノエという女性が登場する。アルシノエはいくらか年かさで器量も良くない、誰にでも分別を説く女で、ちょうどセリメーヌの対極に位置する。アルセストは、アルシノエやセリメーヌの従姉妹のエリアントからも想いをかけられている。それなりのモテ男である。

 アルセストは悪い風習に染まったセリメーヌを愛の力で洗い清めてみせる、と言ったが、これも大方の予想通り失敗に終わる。古今東西、おそらくそれを試みた男性はごまんといるだろうが、そんなことに成功した者は一人としていないだろう。劇の最後で、結局、アルセストはセリメーヌが結婚しても変わらないと悟り、セリメーヌと別れる。アルセストは、これから人里離れた所へ行ってそこで暮らす、と行ってフィラントと別れるが、フィラントは、そんなアルセストの計画をぶち壊そう、と言って、幕が下りる。

 モリエールは本名ジャン・バティスト・ポクランとして裕福な家具職人の長男として生まれ、上流の子弟と肩を並べて哲学や人文学の教育を受けた後、オルレアン大学で法律を修めた。弁護士の道を進んだのはごくわずかの期間だけで、四歳年上の舞台女優マドレーヌ・ベジャールとの出会いにより、モリエールは舞台俳優、劇作家に転向することとなる。この頃名前もモリエールへと変名する。ベジャールと劇団を興すも、経済的に破綻してパリを追われ、地方巡業を行う。十三年間南仏、西仏を中心に興業を続け、劇作家としても修行を積む。パリに戻り、パレ=ロワイヤルの劇場を本拠として次々と作品を発表する。モリエールは三十六歳にしてフランス演劇の中心となる。代表作は表題の他に「タルチュフ」「ドンジュアン」「守銭奴」「いやいやながら医者にされ」「町人貴族」など。

  本書は、アメリカの大学でも講義の課題のテキストとなっている。一人の青年が社会に出て行く前、社会では必ずしも正しい事ばかりではないことを若い学生に教えてくれる本となっている。内容も面白く、薄くて気軽に読めるので、大学生が読むと読むと良い本である。