オイディプス王

 今回は、ギリシャ悲劇の古典として有名な、ソフォクレスオイディプス王である。

 ギリシャのテーバイで王の息子として生まれたオイディプス。しかし、息子はやがて王を殺すという不吉な神託が降り、王は息子の両足に留め金を刺して羊飼いに山中に捨てるように命じる。捨てるのが忍びなかった羊飼いは、他国の羊飼いに子どもを預け、それが子供のなかったコリントスの王に渡り、そこでオイディプスは王子として育てられた。ここでも、オイディプスには、自らの父を殺し自分を産んだ母と交わるという神託があったため、オイディプスコリントスを出て、放浪の旅に出る。この放浪の旅の途上で、偶然から、オイディプスは実の父であるテーバイの王を殺してしまう。

 王が殺されたテーバイでは、スフィンクスが謎をうたい、答えられない人々の命を奪っていた。そこへ、放浪中のオイディプスがやってきて、謎を解き、人々を救う。そこで、人々に推されて王位につき、先王の妃であり、自らの母である、イオカステを妻にし、4人の子どもをもうける。しかし、その後、テーバイにさらなる危難が降りかかる。オイディプスは国を救うため、再び神託を乞うと、先王ライオスを殺した犯人を国から追放することで解決できると神託があり、オイディプスはライオス殺しの犯人探しをすることになる・・。

 オイディプスは、決して、悪人ではない。彼に最悪の悲劇が起こったのも、彼自身が意図してのことではない。アリストテレスによると、悪人でも、善人でもなく、しかも大きな名声と幸福を享受している人が、何らかの過ちによって、幸福から不幸に転じるのが、悲劇の優れた筋である。ギリシャの原始の世界にあって、様々な悲劇作品が作られたが、その中でも、善人が幸福から不幸に転じたり、悪人が幸福から不幸に転じるものも、あったようだが、結果として、「オイディプス王」の筋のようなものが最上であるとアリストテレスは「詩学」の中で結論づけている。

 この物語は、小説ではなく、演劇である。登場人物のせりふと、ところどころに挿入される旋舞歌よりなる。西洋の演劇はアテネ発祥であり、アリストパネスソフォクレスアイスキュロスなどの劇作家はアテネアクロポリスの丘にあるディオニュソス劇場で作品を上演し競い合った。「オイディプス王」はソフォクレスの作品の最高傑作であるが、伝承によると、大ディオニュシア祭における悲劇競演では、ピロクレスに敗れて第2等だったと言われている。そのピロクレスの作品は現存していない。

 作者のソフォクレスは紀元前5世紀頃の人でアイスキュロスエウリピデスと並び称される三大悲劇作者の一人。最初は役者を志したが、のちに劇作家に転じ、二十七歳の時に大ディオニュシア祭に初参加し、アイスキュロスを破って優勝。90歳になるまで作品を執筆し続けた。「オイディプス王」は、好評だったためか、続編があり、続編ではオイディプスの子ども達が主役となる。 

 心理学上の言葉であるエディプス(オイディプス)・コンプレックスは、フロイトによって、このオイディプスの物語から名付けられた。

 現在、最も手に入りやすいものは岩波文庫版である。私もそれを参照した。次が光文社古典新訳文庫のものである。より現代語に近く読みやすいものは古典新訳文庫の方だろう。他にも新潮文庫版もあるが、英訳からの重訳なので、マイナーな存在である。どの訳で読むにせよ、筋が単純でわかりやすく、人間の運命というものについて深く考えさせられる作品である。

エピダウロスの古代劇場