村上春樹・ノルウェイの森

 大学生の時、友人と話していたら、村上春樹の話になり、彼の作品は高校時代に全部読んだぜ、なんて言っている男がいた。私は、村上作品は小説だけでなくエッセイもかなり好きで、「村上朝日堂」や「村上ラジオ」などかなり楽しく読んできたし、何度も読み返してきた。これだけ世界中でも売れている作家だから、ファンも多いし、私の通っていた京都大学でも、村上が好きな人はけっこういた。それも、文系学部ではなく、理系学部の中でもファンは多かった。「村上さんのところ」という、ファンとの交流から生まれた作品の中でも、理系研究者にも村上ファンが多いということが語られている。いたるところにファンがいるのだ。

 本作は、三十七歳の「僕」がドイツのハンブルク空港に到着するボーイング機中でビートルズの「ノルウェイの森」のメロディを聞いて具合が悪くなる場面から始まる。具合が悪くなってうずくまりながら、「僕」は約20年前の大学生だった頃の体験を思い出している。ずいぶん感傷的な文章だ。もちろん、「ノルウェイの森」というタイトルはビートルズの曲名に由来している。ビートルズはデビュー前の下積み時代にハンブルクのライブハウスで演奏していた。要するにハンブルクビートルズゆかりの地なのである。高田馬場駅鉄腕アトムのメロディが流れるのと同じである。村上春樹早稲田大学に在籍していた1970年頃は、ビートルズが流行しており、至る所でビートルズの曲が流れていた。また、大学では大学紛争をやっており、東大入試は中止になり、講義はほとんどなかった。既存の権力をぶち壊す、カウンターカルチャーの時代である。

 偶然だが、私も、現在は三十七歳である。偶然の一致である。今、これを書いている喫茶店でも、ビートルズの曲が流れている。意味のある偶然の一致を、シンクロニシティという。

 本作には、性的な表現が多い。主人公が何人もの女性とセックスする場面が出てくる。最後には、四十歳くらいの中年の女性とまでセックスをしている。主人公は、それほどに顔は良くないようだがモテモテで、女性とやりまくりである。こういう大学生活を送りたいと、思わなくもない。

 村上春樹早稲田大学文学部演劇科卒の作家である。本書の主人公も、大学で演劇を専攻し、大学時代の村上と同様にレコード屋でアルバイトをしている。そういう意味では、著者の分身とも言える。また、本書の登場人物である「ミドリ」は、村上春樹の妻である、村上陽子をモデルとしているとする説もあるが、著者はそれを否定している。ミドリと主人公との会話は、見ていると、かなり面白い。特に、ミドリのセリフは面白い。ドストエフスキーの小説における長広舌のようである。私は、ミドリというキャラクターは、村上春樹の創造したキャラクターのうちでも最高傑作だと思う。ミドリは、男性からすると一緒にいて楽しく、物分かりの良い女の子である。それなりにルックスもよく、下ネタで男と盛り上がっている場面もある。ミドリと主人公との関係は、恋人ではなく、4角関係のようなものだ。お互いに、恋人がいる。その中で、二人だけで会ったりして、だんだんと恋人のようになっていく。

 本作のテーマは大学生活、恋愛、人の死である。親友や、恋人が次々と自殺していくが、主人公は深く考えないようにして、やり過ごそうとする。バラバラになりそうな心を癒すために、主人公は、恋人へと手紙を書き続ける。文章を書くという行為が、一つの癒しとなっているように思える。また、そのような物語を読むことで、読者の孤独な魂も癒しを感じられるようになっている。

 上巻、下巻と二つに分かれていて、長編ではあるが、それほど苦労なく読めると思う。これは、中学生から大学生までの学生にお勧めする。大学の講義に出席したり、恋人関係や友人関係、お酒を飲んだり、アルバイトをしたり、セックスをしたり、これはどの時代にもある事だから、読めば共感できる部分はあるはずだ。優れた小説は時代を超え、国境を越える。きっと、あなたの気に入るはずである。