ベルニーニとローマの噴水

 ローマを再訪しました。以前にローマを訪れた時、ヴァチカン美術館やパンテオン、真実の口などを見ました。今回は、前回見れなかった少しマイナーな所を回りました。まず、テルミニ駅から近いサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会です。ここにはバロック期のローマを代表する芸術家である、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの「聖テレジアの法悦」があります。教会の見学時間は限られており、9~12時と16~19時です。15時半くらいに教会の入り口に到着しましたが,扉が閉まっていて,他にも開くのを待っていると思われる人が1組いました。16時まで,教会の前の横断歩道を渡ったところにあるモーゼの噴水のところで待ちました。モーゼの噴水はローマ三大噴水と言われています。モーゼ像の頭から角が生えていますが、これは旧約聖書を翻訳するときにモーゼの目が光ったというところを、誤ってモーゼから角が生えたと訳したところに端を発するようです。ローマでは街を歩きながら、喉が渇いたときに街中にある噴水の水を飲むのが伝統的です。ただ、コロナのこともあるので,今回は噴水の水に手を浸すだけにしました。教会の開くのを待っていると,他にも続々と観光客が集まり,教会の扉の前には最終的に2~30人の人が集まって来ました。16時ちょうどになり、(おそらく)アメリカ人の男性が扉をドンドンと叩きました。シスターが中から出て来て,扉を開けました。集まっていた皆さんが一斉に教会に入って行きました。アジア系の人は私だけでした。先ほど扉を叩いたアメリカ人は、スマホで教会の中を撮影していました。youtubeに動画をあげるのかもしれません。教会に入って左手に有名な「聖テレジアの法悦」があります。この像は、16世紀スペインの修道尼である聖テレジアの宗教体験の伝説を基にしています。聖テレジアは天使に先端の燃えた黄金の矢で心臓を貫かれるという幻覚を見ました。矢で何度も貫かれたテレジアは痛みから来る法悦を覚えたということです。

 ベルニーニ自身もこの像が自分の作品の中で最も美しい作品であると言っていたそうです。恍惚とした顔の聖テレジアと矢を手にした天使が天上から降り注ぐ光を受けています。像の向かいには、発注者であるコルナーロ枢機卿達の像があり、まるでオペラ座のボックス席から像を見ているかのような作りになっています。

 今回は、他にもローマの特徴的な幾つかの噴水を見て回ったので紹介します。サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会からバルベリーニ通りの坂を下ったところにある、バルベリーニ広場のトリトーネの噴水もベルニーニの作品です。トリトーネとはギリシャ神話の海神トリトンのこと。この噴水では,トリトンが法螺貝を上に向かって吹いている様子が表現されています。噴水という、実用的なものを彫刻という芸術で仕上げているところに感動しました。美術館に行ってお金を払わなければ見れない芸術作品ではないのです。ローマの夏は暑いですから,噴水で水を飲む人は多いことでしょう。この噴水は、童話で有名なアンデルセンの小説「即興詩人」の冒頭にも登場します。

 トリトーネの噴水は広場の真ん中にあり、広場のはずれにはベルニーニの作ったもう一つの噴水があります。蜂の噴水と呼ばれるもので、貝殻に乗った蜂のところから水が噴き出ています。蜂はベルニーニに彫刻製作を依頼していたウルバヌス8世の出自である、バルベリーニ家の紋章に因んでいます。バルベリーニ広場の名前も、近くにバルベリーニ宮があることに由来します。

 バルベリーニ広場からさらに歩いて10分のところに、有名なスペイン広場があります。映画「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーン扮するアン王女がジェラートを食べていたのがここです。今では階段が汚れるので、飲食や階段での座り込みが禁止になっています。「ローマの休日」ではヘップバーンがジェラートのアイスの部分だけ食べた後、コーンの部分を無造作に階段に捨てています。今とは時代が違いますね。今回の旅で乗ったITA機の中で見た映画「ミッション・インポッシブル デッドレコニングpart1」の中でも、カーチェイスの途中でスペイン広場が登場します。この映画も面白いので、観てみてください。

 スペイン広場の真ん中にも、ベルニーニの噴水彫刻があります。「バルカッチャ(破船)の噴水」と呼ばれるもので、その昔テヴェレ川が氾濫した時、ここまで破船が運ばれてきたという話に基づいているそうです。この噴水は彫刻として優れたとても美しいものです。噴水の周りには人がたくさん集まっています。この辺りは水圧が低いので、噴水の位置が地面の高さと同じ位のところになっています。スペイン階段を上った所にトリニタ・ディ・モンティ教会と広場があり,ここからはローマの街が一望できます。

 スペイン広場からバブイーノ通りを北に行ったところに、バブイーノの噴水があります。顔は人間ですが,首から下に苔のようなものが生えています。ローマ1醜い噴水と言われています。元はローマ神話のシーレーノス(ワイン作りの神)を表現していたとされています。それがバブーン(ヒヒ)に似ていることから、バブイーノと呼ばれるようになったそうです。ただ本当にヒヒに似ているかは微妙です。昔のローマ人はヒヒがどういう姿をしているのかは知らず、ただ醜いということだけは知っていたようです。ただのくつろいだおじさんの像に見えます。

 バブイーノ通りの近くに有名なマルグッタ通りがあります。映画「ローマの休日」でグレゴリー・ペックが演じるアメリカ人新聞記者ジョー・ブラッドリーのアパートがあるのがマルグッタ通り51番地です。そこには今でも映画で出てきた建物が残されています。今から70年も前の映画なんですね。白黒映画で、ヘップバーンのウェストがなんと細いことか。映画では人通りが多く活気のある通りに映っています。今回は朝に行ったためか,他には誰もいませんでした。

 マルグッタ通りからまたスペイン広場に戻り,さらに南に行くと、バロック期の噴水の傑作、トレビの泉があります。トレビの泉の前の広場はそれほど広くないのですが,人でごった返しています。おそらくローマで最も人口密度が高いのではないでしょうか。しかも世界中からとびきりのリア充達が集まっているのではないかと思えるほどに人々ははしゃぎ回っています。泉に向かってコインを後ろ向きに投げるとローマに再び来ることができると言われています。私も前回ローマに来た時にコインを投げました。ローマ再訪が叶って良かったです。今回もコインを投げようと、人が少なそうな朝8時くらいに来てみたのですが、すでに人がそれなりにいました。ただ、昼間ほどではないので、ちゃんとコインを投げ入れてきました。泉の正面ではなく側面の方が空いています。写真を撮るのも一苦労です。この周辺はジェラート屋がたくさんあります。一般的に言えば、こういう有名な場所にあるジェラート屋、飲食店は高い割にクオリティが低いです。そこから少し歩いた所にある、Lucciano’s というジェラテリアがおすすめです。

 この辺りは街がごちゃごちゃとしています。人通りも多いです。トレヴィの泉から歩いて5分くらいの所に、パンテオンがあります。パンテオンは万神殿とでも訳せましょうか、古代ローマ時代からある建造物です。もともとはローマの神様が祀られていました。現在ではキリスト教の聖堂となっています。パリのパンテオンもそうですが、有名人の墓もあります。ここには、画家ラファエロ・サンティが眠っています。ローマにはラファエロの画が多く残っています。日本ではラファエロの画はなかなか見ることが出来ません。三十七歳という若さで死んだ天才です。僕も現在はラファエロが死んだのと同じくらいの年齢になってしまいました。数年前に初めてローマを訪れた時、パンテオンラファエロの墓を見ました。その時は、私は三十歳くらいでした。早く何かを成し遂げなければいけない、そう思いました。パンテオンは天井に穴が開いており、建築の上から言っても興味深い建物です。古代ローマ時代にこれだけの大きさの天井のドームを作ることは難しかったようです。建築、芸術には、それを可能とするためのテクノロジーが必要でした。パンテオンはその後のイタリアの建築物、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレや、ヴァチカンのサンピエトロ教会のクーポラを建造する際に参考にされました。

 パンテオンのすぐ近くにサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会があります。この教会には、ミケランジェロの「贖いの主イエス・キリスト」像があります。この像は、元々は裸の彫刻でしたが、その後、ブロンズの腰布で男性器の部分が覆われました。この彫刻はミケランジェロの作品の中ではあまりできが良くないと言われています。主祭壇のすぐ近くに置いてあって、間近で見ることが出来ます。何人かの教皇の墓や、画家フラ・アンジェリコの墓があります。主祭壇にシエナのカタリナの石棺があり、手紙がたくさん入れてありました。ガリレオ裁判が行われたのもこの教会です。教会の前のミネルヴァ広場には、オベリスクを乗せた象の面白い彫刻があります。これもベルニーニによって設計されたものです。ローマに十一本あるオベリスクは、エジプトから持って来られたものです。こちらはその中でも一番小さいものになります。ベルニーニはコンスタンティヌス帝の騎馬像やルイ14世の騎馬像と同時期にこの彫刻を作成しました。馬に乗った人間の像から、象に乗ったオベリスクを考えついたのかもしれません。

 ミネルヴァ広場から南に少しいくと、トッレ・アルジェンティーナ広場があります。ここはジュリアス・シーザーが暗殺された場所です。現在では柵で囲まれた古代遺跡となっており,猫の溜まり場になっています。夜でも遺跡はライトアップされており,独特の雰囲気を保っています。更にそこから南に進んで小道を入ったマッテイ広場に、亀の噴水があります。亀の噴水はジャコモ・デッラ・ポルタの設計です。当初はイルカと、イルカの上に乗った男子の像が甕の周りに配置されただけで亀はいませんでしたが、のちに青年の像の手が支えていたイルカが撤去され、何もなくなったところに代わりに亀の彫刻を配置したのがベルニーニだとのことです。その後亀の彫刻が盗まれるなどしたため,現在はオリジナルは取り去られ、コピーが置かれています。ちなみにこの噴水はユダヤ人街の中にあります。昔はユダヤ人街を壁で囲んでいたようですが、今はありません。この地区はユダヤの伝統料理とローマ料理が融合した素晴らしい料理を出す店が多いです。

 そこからまた南に歩くと、「真実の口」のあるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会があります。この真実の口はもとはマンホールの蓋だったということです。「ローマの休日」で有名になりました。コロッセオから徒歩で行けるので、一緒に見るといいと思います。

 引き返してパンテオンに戻ります。そこから細い道を少しいくと、ナヴォーナ広場に出ます。ここはもともと陸上競技場だったと言われており,確かにその形は、陸上の200mのトラックが収まりそうな、楕円形の形をしています。中央にはベルニーニ作の4大河の噴水があります。この噴水はバロック彫刻の傑作でしょう。ローマの野外彫刻としてはこのナヴォーナ広場の噴水や、トレビの泉、バルカッチャの泉あたりが最高のものになると思います。ローマに初めて行かれる方は、スペイン広場,トレビの泉、ナヴォーナ広場には行くでしょう。そこは他にも観光客が多く、人の多く集まる場所です。それだけポピュラーだということです。

 ナヴォーナ広場には3つの噴水があり、4大河の噴水の北側にネプチューンの噴水があり、南側にモーロ人の噴水があります。どちらもジャコモ・デッラ・ポルタの作品です。亀の噴水と同様に、モーロ人の噴水には、後になってベルニーニが噴水の中央にイルカと格闘するムーア人の彫刻を付け加えました。このムーア人の彫刻もベルニーニらしい力強さを感じさせます。4大河の噴水が広場中央にあり、広場の噴水の中で最も巨大でモニュメンタルな作品です。4大河とは、ナイル川ドナウ川ガンジス川,ラプラタ川のことで、それぞれを擬人化した像の上に、エジプトから持ち帰った花崗岩を元に作られたオベリスクが建っています。ナヴォーナ広場はトムハンクス主演の映画「天使と悪魔」やジュリアロバーツ主演「食べて祈って恋をして」にも出てきます。ベンチがあるので、いつも誰かが座っています。私も歩き疲れたので、ベンチに座って休みました。映画の中でジュリアロバーツがジェラートをベンチに座って食べています。現代ではスペイン階段ではなく、ナヴォーナ広場でジェラートを食べるのが正解のようです。

 ナヴォーナ広場からさらに北西へいくと、テヴェレ川に出ます。文明は川沿いの都市に発達することから、人間にとってどれだけ水が重要かということがわかります。テヴェレ川にかかるサンタンジェロ橋を渡ります。このサンタンジェロ橋は五賢帝の一人、ハドリアヌス帝が作らせたものです。テヴェレ川を渡った先にはサンタンジェロ城があり,サンタンジェロ城は初めはハドリアヌス帝の霊廟として建設されました。同時に霊廟に至る橋も作られました。サンタンジェロ橋の両側には10体の彫刻が飾られています。ベルニーニもそのうち2体の天使像を作成しました。それらの2体はあまりにも出来が良かったので、橋に飾られることはなく、現在ではサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に納められており、コピーが橋に飾られています。弟子が作成したコピーはしかし、完全なコピーというわけではなく、少し違う像であり、しかもベルニーニ自身が仕上げをしたという伝説があります。映画「ローマの休日」の中でダンスパーティがあったのもこのサンタンジェロ橋の下です。他にも様々な映画や、漫画にも出てきます。このサンタンジェロ橋は人がたくさんいる写真撮影スポットでもあります。

 ここまで来ると、ヴァチカン市国まであと少しです。サンタンジェロ橋からはサンピエトロ寺院のクーポラが見えますから、そちらの方向に向かって15分くらい歩くと、世界最小国ヴァチカンのサン・ピエトロ広場に到着します。歩いて国境を通過する経験は日本ではできないでしょう。サン・ピエトロ広場の縁がイタリアとの国境です。広場にはたくさん人がいます。この広場にもベルニーニの噴水があります。広場中央にオベリスクがあり,その両側に同じデザインの噴水があります。広場北にあるのがカルロ・マデルノ作の噴水で、南にあるのがベルニーニ作の双子の噴水です。ベルニーニが後から同じデザインの噴水を作成

したので双子の噴水と呼ばれています。同じデザインとは言え、さすがに、私はオリジナルであるマデルノの噴水の方が芸術的に優れていると感じました。ベルニーニは、マデルノの噴水が気に入っていたからこそ、同じデザインの噴水を作ったわけです。私はパリのコンコルド広場の噴水も好きですが、それはサン・ピエトロ広場の噴水を真似して作られたと言います。コンコルド広場の方が、装飾が派手になっています。パリでは、ローマほどに噴水には注目が集まりません。不思議です。この例でもわかるように、イタリアは文化の源泉なのだな、と思います。そこから文化が始まり、世界に広がっていっている。ベルニーニも晩年パリに行き、ルーブル宮殿のデザインをしたり、ルイ14世の胸像を作ったりしました。フランス料理もイタリア料理の影響を受けて発展しました。

 岩波新書の「ローマ散策」という本の冒頭に、ローマに半日しか滞在する時間がないとしたら、どこに行けばいいか?という質問への答えとして、カンピドリオの丘が挙がっています。今回のローマ滞在では、最後にカンピドリオの丘に行きました。ローマには7つの丘があり、それが都市ローマの基礎をつくりました。カンピドリオは7つの丘の中で最も高く、丘の上にはミケランジェロの設計したカンピドリオ広場があり,その周りにはローマ市庁舎やカピトリーノ美術館、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂があり,裏手にはフォロ・ロマーノがあるため、ローマの中心をなしています。カンピドリオ広場の真ん中には五賢帝の一人,マルクス・アウレリウスの騎馬像が配置されています。この像はレプリカで,本物はカピトリーノ美術館の中に展示されています。マルクス・アウレリウスストア派の哲学者でもあり,「自省録」の著者として、今日でも名前を知られています。広場の床はモザイクで幾何学模様が描かれています。カピトリーノ美術館は、観客はそれほど多くないものの、面白い展示が多くあります。仮に私がもしローマに半日しかいれないとしたら、スペイン広場やトレビの泉、ナヴォーナ広場などか、もしくはヴァチカン美術館とシスティーナ礼拝堂を勧めます。”Eternal City”(永遠の都)と呼ばれるローマですから、とにかく見るべきところは多いです。また戻ってきて、ローマ滞在の続きをやってみたいと思います。

 

聖テレジアの法悦