ゴーゴリ 「外套・鼻」

19世紀ロシアのサラリーマンの悲哀とでも言おうか、薄給の九等官が外套を新調することにまつわる短編である。主人公は徹頭徹尾不幸な人生を送る、ロシアの公務員である。物語として、もし、幸福な人生を送る、お金持ちの人生を描いたとしたら、あまり読者の共感は得られないだろう。不幸な人生だからこそ、笑いが、ユーモアが、ペーソスが生まれる。外套がボロボロになってしまって新しいものを買う必要が生じたり、少ない給料をやりくりし、賞与を足して遂に外套を購入したりする場面は身につまされるところである。

また、主人公が有力者のところに行き、外套探しをお願いする場面では、有力者、権力者の描写も優れている。一種の寓話的な側面も持っていると言える。

最後の場面では、主人公に対して辛くあたった有力者に対する罰、といおうか、反撃の場面も、超現実的なかたちで、描かれている。

「鼻」も「外套」と同じく、現実には起こり得ない話である。まず、床屋の食卓のパンの中に、彼の客のうちのひとりの鼻が発見されるところから、物語は始まる。そして場面は変わり、カフカの「変身」のように、主人公が朝起きると自分の鼻がなくなっていることに気づくのである。ちなみに、カフカよりもゴーゴリの「鼻」の方が時代的には前の作品である。カフカが「鼻」を読んでいて、インスパイアされた可能性はある。芥川龍之介や、ドストエフスキーゴーゴリ作品に影響を受けたと言われている。主人公が下級官吏であるところは「外套」と共通している。ゴーゴリは、ペテルブルクで実際に下級官吏をしていたこともあり、その時の体験が作品に生かされているのだろう。

主人公は自分の鼻を取り戻そうと悪戦苦闘し、警察署や新聞社に行き、鼻を探し求めるが、なかなかうまくいかない。鼻が独り歩きをしているという事態そのものがあり得ないことであり、なすすべもなく、帰宅する。結局、鼻は見つかり、無事に戻ってくるものの、今度は鼻を顔にくっつけることができない・・・。主人公は鼻がないために苦労をし、あらゆることを試み、馬鹿げた災難に遭う。

作者であるゴーゴリに関して言われることは、ロシアの文学において先駆的な役割を果たしていることである。文学の源流となる作品を書いた人である。

今回読んだのは岩波文庫版である。光文社古典新訳文庫の方読みやすい訳となっているだろう。

基本的には、ロシア文学ドストエフスキートルストイを読むべきである。それらの作品を読んだことのある人が、その作品の源流を知りたいときに、ゴーゴリ 作品を読むとよいと思う。また、ドストエフスキートルストイは長編作品が多いため、なかなか読み進められない人もいるだろう。その場合、ゴーゴリ 作品はそれほど長くなく、100ページほどしかないため、1日もあれば読めてしまう。

この作品は、例えていうならば、ローマのようなものである。ヨーロッパの他の都市はローマに倣っている。その後の小説作品が成立する礎、源流を尋ねたいという方に、読むことをお勧めする。